米朝商店

桂米朝について

桂米朝

3代目桂 米朝(かつら べいちょう)、
本名、中川 清(なかがわ きよし)。
1925年(大正14年)11月6日 ~
2015年(平成27年)3月19日
旧関東州(満州)大連市生まれ、
兵庫県姫路市出身の落語家。

1943~44年正岡容(まさおか いるる)に
弟子入り、
のちに
1947年9月4代目桂米團治に師事。
出囃子は『三下り鞨鼓』、『都囃子』。
俳号は「八十八(やそはち)」。

現代の落語界を代表する落語家の一人で、
第二次世界大戦後、滅びかけていた
上方落語の継承、復興への功績から
「上方落語中興の祖」と言われた。

1996年(平成8年)に落語界から2人目の
重要無形文化財保持者(人間国宝)

認定され、2009年(平成21年)には
演芸界初の文化勲章受章者となった。

本名
中川 清   
なかがわ きよし
生年月日
大正14年11月6日
出身地
兵庫県姫路市

米朝の歴史

  • 1939年〜

    大正14年11月
    満州大連に生まれる
    昭和18年5月
    作家、寄席文化研究家・正岡容に師事
    昭和22年9月
    四代目桂米団治に入門 ほどなく大阪で初舞台。
    演目は「高津の富」
    昭和22年9月
    中村扇雀(現・坂田藤十郎)ら仲間と
    「上方風流」を発刊
    昭和41年7月
    京都府立勤労会館にて初の独演会
    「桂米朝スポットショー」を開催
    昭和41年10月
    京都・東山安井金比羅会館にて
    桂米朝落語研究会を始める
    昭和42年6月
    関西テレビ「ハイ!土曜日です」の
    司会を担当
    米朝の写真
  • 1968年〜

    昭和43年4月
    所属の千土地興行を離れフリーとなる
    昭和43年4月
    大阪・厚生年金会館にて「労音寄席・桂米
    朝独演会」を開催
    これをきっかけに以後、ホール落語の全国
    展開が始まる
    昭和46年7月
    大阪・サンケイホールにて「第1回桂米朝
    独演会」を開催
    昭和48年3月
    東芝レコード「桂 米朝上方全集 全23集」発売開始
    昭和48年7月
    東芝レコード「桂 米朝上方全集 全23集」発売開始
    米朝の写真
  • 1974年〜

    昭和49年4月
    株式会社米朝事務所 設立
    昭和52年6月
    尼崎落語勉強会を始める
    昭和54年6月
    尼崎落語勉強会を始める
    昭和54年6月
    毎日放送「特選!!米朝落語全集」放送
    開始
    平成4年7月
    毎日放送「特選!!米朝落語全集」放送
    開始
    米朝の写真
  • 1996年〜

    平成8年4月
    重要無形文化財保持者(人間国宝)認定
    平成14年11月
    文化功労者顕彰
    平成21年11月
    文化勲章受章
    平成27年3月
    永眠 、従三位叙位
    米朝の写真

受賞歴

  • 昭和

    昭和36年
    大阪府民劇場奨励賞 受賞
    昭和38年
    芸術祭文部大臣奨励賞 受賞
    昭和42年
    「地獄八景亡者戯」にて大阪府民芸術奨励賞 受賞
    昭和43年
    昭和43年度日本放送作家協会
    昭和44年
    芸術祭優秀賞 受賞
    昭和45年
    芸術祭優秀賞 受賞
    昭和47年
    尼崎市芸術賞 受賞
    昭和47年
    読売テレビ「第1回上方お笑い大賞」大賞 受賞
    昭和48年

    昭和48年度東芝レコード特別賞 受賞

    「桂米朝上方落語大全集」

    昭和49年
    昭和48年度大阪府民劇場賞 受賞
    昭和50年
    第13回ゴールデンアロー賞芸能賞 受賞
    昭和51年
    第18回児童福祉文化奨励賞 受賞 図書部門「落語と私」
    昭和51年

    昭和51年度東芝レコード特別賞 受賞

    「桂米朝上方落語大全集 1~23集」

    昭和53年
    昭和53年度防犯功労者賞 受賞
    昭和53年
    大阪芸術賞 受賞
    昭和55年
    昭和54年度芸術選奨文部大臣賞 受賞
    昭和57年

    昭和57年度民間放送娯楽部門優秀賞 受賞

    第10回日本放送演芸功労者賞 受賞

    読売テレビ「第11回上方お笑い大賞」大賞 受賞

    昭和58年

    第20回ギャラクシー賞 受賞

    兵庫県文化賞 受賞

    昭和58年度全日本CMフェスティバルコンクールタレント賞(アイバンクCM)

    昭和60年

    昭和60年度朝日放送感謝状 「味の招待席」

    東芝レコード功労者賞 受賞

    昭和62年
    紫綬褒章 受賞
  • 平成

    平成4年

    第3回キワニス大阪賞 受賞

    第46回神戸新聞平和賞 受賞

    平成5年
    日本酒大賞 受賞
    平成6年
    第9回関西こころの賞 受賞(文化・芸能部門)
    平成8年

    平成7年度朝日賞 受賞

    重要無形文化財保持者(人間国宝)認定

    姫路市名誉市民認定

    平成9年

    NHK放送文化賞 受賞

    松尾芸能賞 受賞

    平成13年
    読売テレビ「第30回上方お笑い大賞」30周年記念特別賞 受賞
    平成14年
    文化功労者 顕彰
    平成21年
    文化勲章 受賞

米朝名言集

  • その人と同じ位と思えば自分より上、自分より下と思えば自分と同じ位、 自分より上と思えば自分より遥かに上

  • 昔のような飢餓感がないんやろうな。噺家になりたてのころの私は、たとえ自分の出番がない時でも囃子場にずっとおりました。「邪魔や」と叱られようが、そこにいたかったんや

  • 芸人は…好きな芸をやって一生送るもんやさかいに、むさぼってはいかん

  • 落語とは、おしゃべりによって、お客さんを”違う世界”へご案内する芸であって、大道具も、小道具も、衣装も、全部、お客の想像力に頼って、頭のなかに作り出してもらう、ドラマである

  • 自分なりに納得して舞台に上がる、この努力を怠ってはいけません

  • 落語を聞きなはれ。落語には生きていく方法がたくさん隠されています

  • 芸は人なり。やっぱり大事なんは人間性や

  • 私の落語の特徴となると、自分の口からは言いにくいんですが、一例を挙げると、まあ、あってもなくてもええような、捨て台詞といったようなもんを、伏線として入れてあり、それが全体に影響し、しゃべりの緩急、間などと重なって笑いになる。そんな計算を私はしています

  • 芸人はどんなにえらくなっても、つまりは遊民なのです

  • 芸能人という言葉が私はどうもいやで、あえて芸人と言い続けて来ています。職業に貴賎はないと言いますが、私は、もし貴賎をつけるとすれば、芸人は絶対に威張れない職業であると思っています。それは物を生産する職業ではないからです

  • 落語は現世肯定の芸であります

  • 枝雀の内弟子の2年間で、家中のガラスは全部割られましたな。ネタを繰りながら掃除機を振りまわすんですよ。大事にしてた茶碗も割られたし、ああいう時は、上等のいいものから割りますな

  • 噺家になったのは好きやからということもありますが、一人でやる芸で、衣装も大道具もメーキャップもなしで、それでいてドラマのような世界が描ける、それに魅力を感じたからです。私の描いた世界と、受け手の世界が一致する。そのときは冥利を感じます

  • 落語の洗練されたものは、地の文が少ないほど良いとされています。つまり全篇対話で事が運ばれて、それでいて、地の説明があると同様にことが描かれねばなりません

  • テレビというもの、落語はずいぶんテレビのおかげを蒙ってますが、またこのテレビにずいぶん毒されてもいます。これに振り廻されないこと

  • 若手と、いいお客の両方を育てなくては、未来が暗いです

  • 大きなことは望まない。泣いたり笑ったりしながら、一日一日が無事にすぎて、なんとか子や孫が育って、自分はとしよりになって、やがて死ぬんだ・・・それでいいというような芸です

  • 明治なら明治、江戸時代なら江戸時代へお客さんを案内してしまうんやからね。何もかも忘れて、こっちの世界へ入ってきてもらうようにするんやから、催眠術です、一種の

  • 平凡な人間ではあるが、こんな人が町内にいたらみなが助かるとか、世の中はもっとよくなるだろう…と思われる人はたくさん落語国にいます。大きなことはのぞまない

  • 全て音楽でも人間の声でもどんな芸にしろ、機械を通した場合と生の時と、人に与える感銘はおおいに違います。これは本当に大切なことであると思うのです

  • 古典と言われていても、実は知らん間に誰かがこしらえたものが入っている。古くから遣ってきた噺というのは、そういうもんなんや

  • どんな名人の芸でも、その真髄は録音テープにもフィルムにも完全には残し得ない、このことは何の芸にでも言えるでしょう

  • 芸人というのはね、やはり原点に戻りますなあ

  • 噺家は時事ネタに敏感でないとアカンと思てます。「地獄八景亡者戯」という長編ネタは、時事やパロディーを取り入れてこそのもんやしな

  • 辛いことはあったが、やめようと思ったことは一度もなかった

  • 聞くまいと思っても無理やり、耳に音がとび込んでくるぐらいにしないと、マイクを使っている値打ちがないように思っている人さえあります。こうなったらもう暴力ですな

  • お前より下の人間は居てへんのやさかい、これは誰の履き物なんか考えんと、みんな揃えたらええねん

米朝こぼれ話

桂 米團治

桂 米團治

我が師、桂米朝はメチャクチャ酒が好きでした。
どんな種類でも飲みましたが、特に日本酒を好みました。落語会が終わるや否や、「よっしゃ、行くぞ!」と、弟子やマネージャーを引き連れて、近くの居酒屋へ駆け込みます。
「とりあえず、燗5本!」が口癖でした。
ときには腰に手を当て、コップ酒で(牛乳を飲むように)一息に呑み干すのです。とても70歳を過ぎた人の行動とは思えません(^^;
晩年、要介護状態となって、歩く時も常に誰かの介助を必要としたのですが、深夜、ふと目覚め、台所の一升瓶を取りに行く時だけは、スタスタスタと一人で歩いていったのです。これにはビックリ。「仮病とちゃうのん」と、かなり本気で疑いました。

酒はコメの水。米朝はおコメも大好きでした。かなり飲んだ翌朝も、お粥さんや白いごはんをどんどん食べました。かつて、白米の消費量が下がった時、「米朝は朝からコメを食べる」というコマーシャルに出演したほどです。一時期、糖質摂取を控える「炭水化物ダイエット」なるものが喧伝されましたが、米朝に言わせりゃ「何をか言わんや」。「日本古来のエネルギー源を摂らずに、伝統芸能が広められるか」てな勢いでした。
ご飯と一緒に食べるおかずに関しては、米朝は無類の肉好きでした。牛肉が出たら、たまりません。どんどん口に放り込みます。丑歳だったことと関係があるのかどうかは分かりませんが……このお話しは、いずれまた☆

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