古典落語の旗手として名高い古今亭志ん朝。彼は十八番(じゅうはちばん)と呼ばれる十八の名作を得意としており、その一席一席は笑いと人情にあふれた傑作ぞろいです。
本記事では、志ん朝の十八番に選ばれた演目やその背景、志ん朝自身の魅力を詳しく解説します。
目次
古今亭志ん朝の名作十八番とは
「十八番」とは、本来歌舞伎の十八番に由来する言葉で、「得意な芸・代表作」という意味です。
古今亭志ん朝の場合、十八番とは彼が高座で特に得意とした十八席の落語を指し、それぞれが笑いや人情を鮮やかに描いた名演目とされています。
父である古今亭志ん生譲りの古典落語をはじめ、『明烏』『愛宕山』『火焔太鼓』といった江戸落語の珠玉の名作が志ん朝の十八番に含まれています。
十八番の意味と由来
「十八番(おはこ)」は1832年に歌舞伎役者七代目市川團十郎によって制定された「歌舞伎狂言組十八番」に由来します。
当時團十郎が得意とする十八の演目を選び、この名目で演じたのが始まりとされ、やがて「十八番」は「自分の得意技や代名詞となる作品」を指す言葉になりました。
落語界でも同様に、十八番は噺家が誇る看板演目を意味し、古今亭志ん朝の場合は十八番演目に選ばれた落語が特に高く評価されました。
古今亭志ん朝における十八番の意義
志ん朝は、伝統を重んじつつも自分の感性で演出を加える稀有な存在でした。
父・志ん生から受け継いだ古今亭流の十八番はもちろん、八代目桂文楽や三代目金馬ら他流派で十八番とされた演目も積極的に演じました。
例えば『愛宕山』『明烏』は昔から「十八番」と呼ばれてきた演目で、志ん朝はこれらを軽快かつ魅力的に語り、従来とは異なる新しい風格を示しました。
こうして志ん朝の十八番は、古典落語の伝統を踏襲しつつも彼自身の明るい芸風が反映されたバラエティ豊かな名演集となっています。
古今亭志ん朝のプロフィールと芸風

古今亭志ん朝(1938-2001)は、昭和を代表する落語家・五代目古今亭志ん生の次男として生まれました。
幼少期から落語界のサラブレッドとして注目を集め、1957年に志ん生へ入門。青年期は歌舞伎役者志望でしたが、父の説得で噺家の道に進みます。
入門僅か2年で二ツ目昇進、1962年には史上例を見ない速さで真打(大名跡)に昇進して二代目志ん朝を襲名。
1960年代にはNHKドラマ『若い季節』にレギュラー出演するなどテレビ界にも進出し、東京落語界の人気ナンバーワンと呼ばれるまで成長しました。
生い立ちと芸歴
志ん朝は1938年、東京・文京区で幼少期を過ごしました。
父・志ん生は大変な貧乏育ちから抜け出し、自由闊達な落語で昭和の名人と呼ばれてきました。志ん朝は子供の頃から芝居好きで歌舞伎に夢中になり、中学3年生の時には歌舞伎役者を志望していたほどです。
しかし志ん生に「歌舞伎には入れない。落語家になって自分の芸を磨け」と諭され、1957年、大学受験浪人中に覚悟を決めて落語家に転身。
その後は抜群のスピード出世を遂げます。1959年に二ツ目昇進、1962年には二代目志ん朝を襲名、入門からわずか5年で真打となりました。当時の真打披露興行では50日連続で高座に上がり、多くの噺家を飛び越えたこの快挙は伝説です。
芸風と魅力
志ん朝の芸風は、江戸前らしい明るさと歯切れの良さ、そして独特のスピード感に充ちています。
声のトーンは高すぎず低すぎず中音域で、透明感と艶があり、五月の晴れた風のように爽やかな印象を与えます。落語プロデューサーに「明るい五月の空のような声」と評されるほど清涼感があり、意図的に大声を出さなくても聴き手をぐっと引きつける芯のある声でした。
演出面では、志ん朝は高座を芝居の舞台のように捉え、背景や登場人物のしぐさを取り入れた立体的な演技で観客を楽しませました。演目ごとに巧妙な小道具や表情を使い分ける技術は他に類を見ず、聞き手に物語の情景をありありと想像させます。さらに、ファン思いの性格と礼儀正しさでも知られ、落語界に多くの弟子や同志を残しました。
十八番の由来と落語文化
歌舞伎から生まれた十八番の伝統は、江戸落語にも深く受け継がれています。
1832年、第七代市川團十郎が自らの十八番を制定して以来、「十八番」は芸事における得意技や代表作を指す言葉になりました。やがてこの考えは能・舞踊などにも広まり、多くの芸能で十八番の名が用いられました。
落語界では、各一門や名人が十八番を大事に受け継いできました。古今亭一門でも「古今亭十八番」として十八席が代々語り継がれ、志ん朝もその伝統を受け継いで自身の十八番を構築したとされています。つまり、志ん朝の十八番は江戸落語の系譜の上に位置付けられ、代々の古典を現代に生かす架け橋となっているのです。
歌舞伎十八番の起源
江戸時代に始まった「歌舞伎十八番」は、当初は市川團十郎家が得意とする十八の演目をまとめたものでした。
團十郎が制定した十八番は市川家の名物芸として宣伝され、以降、得意とする十八の演目を「十八番」と呼ぶ文化が広まりました。やがて「十八番」は、演目の保管に用いる箱(おはこ)に例えて「認定された本物の演技」というニュアンスでも使われるようになり、語源としても深い意味合いを持つようになりました。
落語における十八番
落語家にも十八番を持つ伝統があり、師匠から弟子へ十八番が伝わることも少なくありません。
たとえば三遊亭圓生や桂文楽など有名な落語家には、家業ともいえる十八番十八席がありました。志ん朝の場合、父・志ん生が大切にした演目や、一門で十八番とされた代表的な噺を基に、自分の十八番を築いたと考えられます。その中には父の十八番である人情噺や、他の名人が十八番とした粋な滑稽話が含まれており、志ん朝はこれらをさらに磨いて自らの十八番としました。
古今亭志ん朝の十八番演目
ここからは、古今亭志ん朝が十八番の中でも特に頻繁に演じた演目をご紹介します。
数ある十八番の中で人気が高かったのは、『愛宕山』『明烏』『火焔太鼓』などです。これらの噺では、志ん朝の鮮やかな語り口と身ぶりが際立ち、聴き手に強い印象を残しました。
代表的な十八番演目
- 明烏(あけがらす) – 倹約家の父親が心配した堅物の息子を遊び人が吉原に口車に乗せて連れ出すドタバタ噺。志ん朝の明烏では、息子が目を見張って絶句する場面や、遊び人の源兵衛が「苦しくて…」と甘えるさまなど、ユーモラスな演技が光ります。
- 火焔太鼓(かえんだいこ) – 貧乏な古道具屋の主人が、訳ありの太鼓を大名に売りつけて大金を得る滑稽譚。志ん朝は台詞をテンポ良く軽快に演じ、太鼓の正体が明かされるサゲでは爆発的な笑いを起こします。
- 愛宕山(あたごやま) – 上方から江戸に遊びに来た若旦那が下男・一八を連れて愛宕山に登山した際の騒動を描く滑稽譚。志ん朝は一八役を全身で演じ、山道の急こう配を駆け上がるシーンや谷底から縄で登ってくる必死な表情で観客を魅了しました。
その他の十八番演目
- 黄金餅(こがねもち) – 商家の青年が、父と行方不明になった老婆が預けた黄金餅の謎をめぐる人情噺。志ん朝は財布泥棒が出現する論理展開を軽妙に語り、親子の思いが交流する心温まる場面を丁寧に描きます。
- 抜け雀(ぬけすずめ) – 蝶ネクタイ屋の手妻と、その掛け合いから始まる物語。姑との諍いが転じて百姓の夫婦の哀歓を描く複雑な人情噺を、志ん朝は巧みな間合いと表情でドラマチックに演じました。
- 居残り佐平次 – 浪人・佐平次と酒場の妾(めかけ)お兼が登場する滑稽物語。志ん朝は憎めない浪人のキャラクターを生き生きと演じ、佐平次が妾に身投げを促されて困惑する場面の間(ま)の取り方が絶妙です。
- 品川心中 – 恋人に捨てられた男女が恋い焦がれた結果、大騒動になるドタバタ噺。志ん朝は緩急自在の語りと抑揚で品川界隈の人情とおかしさを浮き彫りにし、コミカルな表情で笑いを呼び起こします。
- 文七元結(ぶんしちもっとい) – 家族を捨てた男が老婆に恩を返す人情噺。志ん朝は寂しさを秘めた主人公の心情を真摯に語りつつも、絶妙なタイミングで笑いを挟むことで深い感動を引き出します。
- 化物使い(ばけものつかい) – 若旦那が化物退治役に担ぎ出される滑稽譚。志ん朝は怪談の雰囲気と軽妙な掛け合いを行き来させ、怖いのかおかしいのか曖昧な独特の恐怖と笑いを表現しました。
古今亭志ん朝の十八番の魅力
志ん朝の十八番は、物語の世界観そのものにも大きな魅力があります。
志ん朝は登場人物を生き生きと立体的に演じる技術を持っており、その演出で聴衆を引き込みます。たとえば『愛宕山』では下男・一八が息絶え絶えに山を登りきる迫力が伝わり、『抜け雀』ではラストの台詞で会場が静寂に包まれるような緊張感が生まれます。
さらに歯切れの良い語り口と絶妙な間(ま)の取り方で笑いを誘い、必要であれば深い人情で涙を誘うフックも巧みに配置。これらの技術が志ん朝の十八番の物語性を強調し、聞き手を最後まで一気に引きつけます。
現代に受け継がれる芸
志ん朝の十八番は今もCDやDVDで楽しむことができます。録音や映像では当時の高座が鮮やかに残されており、名演が新たなファンにも再発見されています。
また、志ん朝の芸風は多くの弟子や後進に影響を与え、現代の落語界でも生き続けています。十八番演目は単なる過去の芸ではなく、今も高座で語り継がれる「生きた名作」として多くの落語ファンに愛されています。
まとめ
古今亭志ん朝の十八番は、江戸落語の伝統と志ん朝自身の個性が融合した総合芸術です。
一つ一つが緻密な笑いと深い人情に満ちており、聴く者に強い印象を残します。今回紹介した演目はその一部にすぎませんが、どれも志ん朝の語りの粋が詰まった名作です。録音や映像で志ん朝の十八番に触れれば、古典落語の楽しさが今なお色あせず伝わってくるでしょう。志ん朝の十八番はこれからも高座で語り継がれ、多くの笑いと感動を届けてくれるに違いありません。
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