落語『擬宝珠(ぎぼし)』は、ありえない趣味を笑いに変えた珍しい古典落語です。物語は、お殿様でもお金持ちでもない若旦那の“奇妙すぎる病”がテーマ。なんと「寺院の屋根にある球体をなめたい」と語り出す病の原因と、最後に待つ意外なオチが見どころです。本記事では、この噺のあらすじや元ネタ、演者による復刻など最新情報を交えて紹介します。
目次
落語「擬宝珠」とは?あらすじと魅力
「擬宝珠(ぎぼし)」とは主に寺社建築で使われる装飾部品のことです。例えばお寺の石段や欄干の先端などに使われる金属製の球体で、年月で緑青(ろくしょう)が吹きます。本作のタイトル「擬宝珠」は、この装飾の“ギボシ”を指し、古典落語の演目名にもなっています。日常ではまず登場しないマニアックな題材ですが、これが噺の核となり、人を引きつけるユニークな味わいを生み出しています。
物語は大店(おおだな)の旦那(主人)の倅(せがれ=若旦那)が心の病で部屋にこもっているところから始まります。事情を聞いた旦那は悩んだ末、幇間(たいこもち)一八(いっぱち)という口がうまい男を呼び寄せます。一八は恋の悩みか、美味しいもののせいかと若旦那に尋ねますが、いずれも違います。そこで若旦那はついに「あの擬宝珠(ぎぼし)のことなんだ…」と告白します。
擬宝珠(ぎぼし)とは何か
冒頭で若旦那が「擬宝珠」と口にするシーンがあります。ここでいう擬宝珠とは「お寺の屋根や欄干などに付いている飾り玉」で、特に五重塔の屋根の頂点(てっぺん)の玉は「宝珠」、橋や欄干の先端の玉が「擬宝珠」と呼ばれることがあります。若旦那は厳密には区別せず、五重塔のてっぺんにある金属の玉まで「舐めたい」と言い出します。この意外な趣向が、物語全体の笑いと深意を生むキーとなっています。
主要な登場人物と設定
落語『擬宝珠』の登場人物はごく少数です。まず若旦那は、大店の一人息子で原因不明の神経病に悩む病弱な青年。大店の旦那(おおだなのおやじ)は心配する父親で、倅(せがれ)の治療法が見つからず頭を抱えています。そして重要なのが、借家人であり若旦那の幼なじみでもある職人熊さん(本作では熊さんと呼ばれることが多い)。熊さんは酒好きで豪快な江戸っ子ですが、若旦那からは唯一心を開いている友人です。最後に呼び寄せられる幇間一八は、世話焼きでノリがよい方言を話す芸人で、若旦那の病の原因を探るためにやってきます。これら登場人物のコミカルな掛け合いが物語を盛り上げます。
物語のあらすじ
一八が若旦那の部屋に入ると、若旦那は心配そうに頭を抱えています。一八はまず「女のことでしょう?」と尋ねますが若旦那は否定。有力候補を問う一八は「食べ物なら?」と続けますが、若旦那は首を振ります。焦れた一八がじらして聞き出そうとすると、ようやく若旦那は「あの擬宝珠のことなんだ…」とポツリ。本来は口にしにくい性癖(しゅみ・嗜好)をからかわれないと思ったのか、ついに秘めた思いを明かしました。
驚いた一八は「え?どこの擬宝珠ですか?」と聞きます。若旦那は「お寺にあるあのニッキ青銅の…」と、隅田川近くの観音寺の五重塔を思わせる言葉で答えます。しかし、一八はなぜか「煮干し?」と勘違い。若旦那は「違う、ギ・ボ・シだ!」と必死に否定します。ここで一八はようやく本当の意味に気づきます。若旦那は昔から金属を舐めるのが趣味で、橋の欄干の擬宝珠を舐めて遊んでいたと話し始めました。ただ欄干の擬宝珠では物足りず「屋根のてっぺんにある擬宝珠(※本来は宝珠と呼ぶ)」まで舐めに行きたいと笑顔で語るのです。
オチ(サゲ)の意味
若旦那の願いを聞きつけた大旦那は、五重塔へ上る足場を組んでもらえるよう寺に厚くお布施を包んで頼み込みます。やがて若旦那は五重塔に上り、屋根の金属玉をポリポリと舐めます。地上に戻り、大旦那に「五重の塔はうまかったか?」と尋ねられ、若旦那は「沢庵(たくあん)の味がしました」と答えます。大旦那は「いや、どれだけ塩が効いていたか聞いているんだ」としつこく聞き直すと、若旦那は「六升(ろくしょう)の味がしました」と返しました。この「六升」という答えが狂言のオチ。元の意味は「たくあんに塩を六升(約10.8リットル)も使ったのか」という驚きですが、語呂合わせで「六升=緑青(ろくしょう)」、すなわち金属に吹いた青緑色の苔(こけ)を指しています。つまり「塩辛い沢庵ではなく、五重塔の金属の青錆の味がした」というギャグで笑いを取る仕掛けです。
擬宝珠落語の歴史と作者

『擬宝珠』は江戸末期〜明治時代の新作落語です。作者は初代三遊亭圓遊(さんゆうていえんゆう)と伝えられています。圓遊は落語家として珍芸ステテコ踊りなどで人気を集めた人物で、自作の創作落語にも長けていました。『擬宝珠』の原話は1783年頃に江戸で出版された滑稽本『聞上手』の「かなもの(金物)」という章に収められており、この中で円遊自身が「金の味」という演目名で演じた記録があります。つまり稀代の新作作家・圓遊が深川八幡(参照の観音様)にまつわるパロディ的な落語として生み出したと考えられます。
しかし新作のため古典落語ほど広まらず、その後ほとんど伝承されませんでした。昭和頃まで噺は忘れ去られ、誰も稽古する人がいないままとなっていました。そんな状況に風穴を開けたのが、柳家喬太郎(やなぎやきょうたろう)師匠です。喬太郎師匠は速記の記録などから古い演目を掘り起こすことで知られる若手実力派。2000年代以降、彼はこの『擬宝珠』を速記録から蘇らせ、自身のレパートリーに加えました。喬太郎師匠は師匠譲りの怪演ぶりで演目に磨きをかけ、寄席やテレビの演芸番組などで披露。これにより古びた噺が現代の客にも楽しめる新作風落語として復活したのです。
原作者・三遊亭圓遊について
三遊亭圓遊(初代・噺家名)は江戸後期の落語家で、当時流行した新作落語や滑稽本の演技で名をはせました。前述の通り、圓遊が演じた「金の味」が『擬宝珠』の前身です。彼はお寺の説教や民話を元にしたオチを得意とし、『擬宝珠』でも仏教的な遊びを笑いに変えています。圓遊の創作落語は独特の語り口が特徴で、後に柳家小三治が蘇らせた「やかんなめ」と同様、新作系ながら現代まで伝わるものがあります。
『聞上手』と噺の背景
元の詞書が収録された『聞上手』には江戸時代の俚諺や説話が多数掲載されており、『擬宝珠』もそのような背景を持ちます。物語冒頭では親鸞聖人が詠んだ歌を引用する場面も確認されており、浄土真宗の教えの中で「目の前のものを味わって生きよ」というメッセージが忍ばされていたようです。喬太郎師匠はこの宗教パロディ部分を現代の聴衆に合わせて削除していますが、もとは「金の楚(砂糖)味」「ポロポロ涙」といった仏教的イメージで話を展開していたようです。
柳家喬太郎による復刻と現代の演者
現在『擬宝珠』を演じられるのは主に柳家喬太郎師匠ひとりです。喬太郎師匠は2010年代にこの噺を演目として大々的に取り入れ、大阪の寄席などでも披露しました。NHKの演芸番組『演芸図鑑』で特集される機会もあり、放送で知った視聴者から「こんな落語があったのか!」と注目を集めました。最近では2023年にも喬太郎師匠が新年会や独演会でこの演目をかけ、ネット上の動画で配信されるなど、徐々に人気が再燃しています。
ほかの演者でも若手噺家の公演でかける場合があります。例えば、落語協会の若手の会や高座演目集には時折掲示される例もありますが、まだ一般には珍しい演目と言えます。今後、喬太郎師匠以外にも挑戦者が増えれば、昔の新作落語が広く復活・継承される契機になるかもしれません。
擬宝珠落語のユニークな笑いとテーマ
『擬宝珠』はテーマも笑いの取り方も非常にユニークです。まず題材が「金属を舐めるフェチ」という異色の趣味なので、聴く者の興味を引きます。若旦那がカレーライスよりスプーンを舐める話や、橋の欄干を舐め尽くした自慢話は、現実にはあり得ないだけに滑稽です。聴き手は「なぜ若旦那はそんな奇行をするのか?」という好奇心で話に引き込まれます。
この噺のもう一つの笑いどころは緻密なことば遊びです。オチで若旦那が答える「六升(ろくしょう)」は文字通り「たくあんを漬ける時の塩の量」を指す一方で、「緑青(ろくしょう)」という語呂を踏ませています。金属に吹いた青緑色の苔を「ロクショウ」と呼び、話としては五重塔の金属から取った答え。ちょっとした言い換えで思わず噴き出し、落語らしい「サゲ」を効かせています。
文化的背景もミソです。仏教寺院を訪れて仏に願いをかける エピソードや、「先祖から擬宝珠が好き」という一族の血統話は、昔ならではのコメディ。若旦那に擬宝珠を聞き出すくだりでは、都々逸(どどいつ)や講談調のツカミが使われ、鬼気迫る宣言が笑いを誘います。喬太郎師匠も演じ分けで狂言のモノマネを交えるなど、芸の幅を見せつけています。
現代における擬宝珠落語の上演と演者
最近の上演ではやはり柳家喬太郎師匠の存在が際立ちます。師匠は「擬宝珠」を持ちネタとし、若旦那の病因を探る舞台転換を取り入れるなど脚色を重ねました。小道具の使い方もユニークで、「10円玉で緑青を吹かせた実演」や「キョンキョン(と自称する女性ファン)のエピソード」など観客ウケする小噺を巧みにマクラに織り交ぜています。寄席では年数回しかお目にかかれませんが、落語会や独演会では不定期に高座に上がっています。
テレビや動画による普及も進みました。NHK『演芸図鑑』の短時間落語コーナーで取り上げられたほか、動画配信サービスに高座映像が掲載されています。2023年にはNHKの演芸番組で取り上げられ、若い世代にも話題に。公式なDVDリリースは未確認ですが、一部の落語ファンサイトやSNSで楽しむ人も増えています。また、2024年8月には「第二回あかね噺の会」というイベントで喬太郎師匠が演じた映像が公開され、ネットで話題となりました。演目自体が珍しいだけに、耳慣れない人でも一度見る価値がある噺です。
演目を目当てに落語会を訪れるファンも多く、今後さらに広がる可能性があります。教養講座や落語教室でも題材にされることがあり、解説つきで鑑賞する機会も増えてきました。噺の背景に触れながら楽しむことで、落語の奥深さや江戸文化への理解が深まります。
まとめ
『擬宝珠』は他に類を見ない個性的な設定と、見事なオチで聴衆を魅了する古典落語です。佐久間先生さんなど伝承者がいなかったため長い間埋もれていましたが、執念深くヨミガエラせた柳家喬太郎師匠の努力で現代に蘇りました。演じ手が少ない今だからこそ、貴重な噺として注目されています。興味がある人は、ぜひ喬太郎師匠の高座や『演芸図鑑』の演目で味わってみてください。家族の血を超えた“擬宝珠好き”という不思議な趣味が笑いに変わる瞬間は、絶対に忘れられない体験となるでしょう。
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